「建国記念の日」…長野県護憲連合の56回目の定期総会を開きました。雪がちらつく中、県下から110人が参加。事務局長として活動報告及び活動方針の提案をしました。振り返って2010年は、沖縄に連帯し普天間基地の国外移設に取り組んだ1年でした。政権交代により「最低でも県外」を公約した鳩山首相は願いかなわず退陣し、引き継いだ菅首相は、打開策を見出すことなく迷走するばかりか、従来の軍拡への歯止めとしてきた「専守防衛」を180度転換させる「動的防衛力構想」を打ち出した「新防衛計画大綱」を閣議決定し、法改正がないまま、事実上「集団的自衛権の行使」に道を開く防衛政策を展開しています。「思えば…遠くに行ったもんだ」と言わざるを得ません。 『管総理、「国民生活第一」の看板はどこに?』…街頭宣伝で配布したビラより。
今年は、信州大学大学院法曹法務研究科准教授の成澤孝人(なりさわたかと)氏を講師に記念講演。「政権交代と憲法第9条」と題した講演で、1997年の「日米ガイドライン」から周辺事態法~武力攻撃事態法~国民保護法制定に至る有事法制化を解明しながら、「新防衛大綱は、経済的強国が市場を支配し、不平等な世界を維持するために軍事力を積極的に使用する道であり、軍需産業が経済を支える体制への移行を狙ったもので、戦後日本のあり方を根本的に変更するもの、本来、憲法改正なしにはできないことだ」と指摘、「憲法9条は無条件に良い規範。戦争をしないことが最高の善だ。改憲の波は何とか跳ね返す民意がつくりだされている。次は憲法9条を活かしていくことだ」と訴えました。成澤氏は40代の若い学者ですが、「政権交代に込められた民意とのずれ」や今日的に問われる憲法9条論を非常に明快に解き明かしてもらいました。
ところで、なぜ今日が「建国記念の日」なのでしょうか。戦前、2月11日は「紀元節」と呼ばれ、子どもたちや教職員は登校し国民をあげてお祝いすることが強制されました。そもそもは「日本書紀」で神武天皇が即位した日とされる神話をもとに明治政府が制定したもので、侵略戦争を美化し天皇を賛美する象徴的な日とされてきました。敗戦によって「紀元節」は主権在民を定める日本国憲法に反するとして廃止されました。しかし、1967年に時の自民党単独政権が、国民の反対を押し切って「建国記念の日」として復活させたのです。政権交代ですべてを一気に転換させることは難しいのですが、自公政権時代における愛国心教育を押しつける教育基本法の改悪、間違ったイラク戦争を支持し、防衛庁を「省」に格上げし「戦う軍隊」を目指すなど、「戦争のできる国づくり」「戦争をする人材づくり」が着々と積み上げられていることにしっかり目を向けていくことが大切だと思います。戦後の繁栄が、国民主権や戦争放棄を定めた日本国憲法のもとでつくられてきたことを考えると、日本という国の誕生日は5月3日の憲法記念日こそふさわしいと思うのですが…、いかがでしょうか。日本の過去・現在・未来をしっかり見つめ直したいものです。(この部分は昨年の再掲です)
午後には、川中島バスのOB会に。会社更生法からの再建に取り組んだ会社側の役員経験者ら70人の先輩の皆さんから温かい激励をいただきました。ここでの話題は「長野市内の生活バス路線の今後」「アルピコグループのバス交通部門の統合」そして「長野電鉄屋代線の今後」、公共交通が住民の関心事になっていることを改めて実感します。