国・県・長野市の共同による国民保護法に基づく国民保護実動訓練が26日、県内で初めて長野市を舞台にして行われた。
県護憲連合としての県への中止申し入れの取り組みは既に報告してきたところだが、長野地区護憲連合として20日に長野市総務部長、危機管理防災監に対して同趣旨の申し入れも行った。この申し入れで長野市職員150人が避難住民役に動員されることが判明した。
訓練前日の25日には夕方から南千歳公園で、県護憲連合・県憲法会議・県労組会議・県労連の4団体共同(1日共闘)の訓練反対集会を開催。350人余りが集まり、戦争協力に道を開く有事訓練反対の声を上げた。また当日の朝は長野駅前で4団体で街頭宣伝活動に取り組むとともに、県護憲連合として独自の訓練監視団を編成、各会場を監視・調査した。
当日、私は市議会総務委員会のメンバーとして視察行動に参加、県が用意したバスでビッグハット、長野駅、市民会館、県庁、若里公園などを回った。「批判的視察監視行動」と自分では位置付けたのだが…。訓練の問題点についてはこれまでに触れてきているので、感想をまとめてみたい。
◆シナリオ通りに淡々と粛々と
「なんだ!こりゃー」の一声で始まった訓練そのものはシナリオ通りに進んだ。ビッグハットでは警察や消防、そして自衛隊の車両が次々に到着し活動を展開するや、緊張感と緊迫感が一帯に広がったものの、全体的には粛々と進んだとの印象だ。私はと言えば、自衛隊が装甲車を出動させたことに驚きつつ、武器携帯をチェック、一応丸腰を確認。装甲車は通常装備している機関銃をはずしてきたものの思われる。ビッグハットでは、防御服(宇宙服のようなもの)を着た消防隊員や自衛隊員が倒れこんでいる負傷者を救助する際に、大きな防毒マスクをしていて下がよく見えていなそうなことから、負傷者役を踏まないように!階段を滑って転ばないように!とむしろ事故を心配しながら、現場を視察していた。
シナリオになかったのが市民グループの抗議活動であろう。若里公園で抗議活動を行った彼らが警察に取り込まれる場面は緊張が走った。「銃後訓練」とする彼らの主張、そして護憲連合として「異議あり!」としてきた私たちの声が、市民に共感を広げることを願うものだ。
訓練に参加した日赤看護専門学校の学生に声をかけ感想を聞いた。「大規模な訓練でビックリ。ボランティアで学生全員が参加してる。看護師としていい経験になると思って参加した。戦争に備えた訓練?そんな話は学校からは聞いていないけど、サリンは怖いし…。でも戦争は嫌だよね」との言葉が返ってきた。
◆そもそもは「武力攻撃事態」への備えを目的とした訓練
そもそも、今回の訓練は自然災害や刑法犯による犯罪被害に対応する訓練ではなく、外国からの侵攻やミサイル攻撃を想定した「武力攻撃事態」に備える訓練であることが、はたして参加者の皆さんや行政当事者にしっかり理解されていたのだろうか、大きな疑問点である。「サリンがばらまかれる」という想定事態は、松本サリン事件のあった長野県故に「あり得ること」を連想させ(因みに松本サリン事件は「テロ」とは認定されていない事件)、また世界で残念ながら頻発する「テロ」から、「怖い!何とかしなければ」との素朴な不安に依拠して、行われた訓練といわなければならない。27日付信濃毎日新聞に早稲田大学教授の水島朝穂氏のコメントが載っていた。「周辺国を危険視しているというメッセージにつながりかねず、盾ではなく(相手を刺激する)矛になる」との意見だ。私もそう思う。
◆「事態対処法に基づき対策本部を設置」…内閣官房副長官
このこと関連して、県庁内で行われた第1回合同会議の冒頭で副官房長官が述べた言葉も訓練の狙いを覆い隠そうとする狙いがあるのではと穿ってしまう。こう言っている…「事態対処法に基づき対策本部を設置する」と。「事態対処法」とは「武力攻撃事態等対処法」を指すのだが、「武力攻撃等」という肝心な部分を省略しているのだ。同法の通常の略称は「武力攻撃事態法」であって「事態対処法」ではないと思うのだが…。ここにも意図的なものを感じてしまうのは私だけなのだろうか。
◆「テロ」とは一体何なのだろうか
今回の訓練では「武装グループ」とか「テロリスト」という言葉が使われている。ネット上で興味深い記事があったので、若干長文だが紹介したい。『「テロ」という言葉のインパクト』と題した東京大学大学院情報学環准教授・林香里氏のコメントである(「あらたにす」・新聞案内人より、11月26日付)。因みに「あらたにす」は朝日・日経・読売の主要記事の一覧ページで愛用の?のページ。http://allatanys.jp/B001/UGC020005420081125COK00177.html
11月19日朝、「テロ」という言葉が朝日、読売各紙一面の見出しに大きく躍った。まだ寝ぼけ眼の私は、いっぺんに目が覚めた。
この「テロ」という言葉、実にインパクトが強い。真っ先に想起するのは、顔の見えない犯人、そして市民の平穏な生活を破壊する暴力。聞いた者たちに問答無用の恐怖を呼び覚ます。その意味で、きわめてセンセーショナルな言葉である。
断っておくと、私はこの元事務次官襲撃事件の犯人の卑劣さや凶悪性を疑っているわけではない。容疑者が逮捕されたいま、一刻も早く、事件の全容が解明されることを願う。
しかし、今回、第一報で事件が「テロ」だと断定された。それによって、この事件の性質は余すところなく決定された。この事件の報道の仕方は、「読者に予断を与えた」ということにはならないだろうか。
実は、よく見ると、19日の見出しは各紙で微妙に分かれていた。「テロ」という言葉にもっとも確信をもっていたのは読売新聞だった。一面見出しはきっぱりと「元厚生次官宅 連続テロ」である。朝日新聞は「元厚生次官狙い連続テロか」だった。「か」があるので、とりあえず断定は避けているけれども、やはり「テロ」路線は踏襲している。唯一、日本経済新聞の見出しだけが「元厚生次官狙い連続襲撃か」であった。
ちなみに、日経新聞は記事の中で「警察庁は厚生次官経験者を狙った連続テロ事件の可能性もあるとみて…」と書いていた。ここで初めて「テロ」は警察庁の見方であることがわかる。そうか。どうやら「テロ」という言葉は、警察側の言葉をそのまま引用(流用)したようである。
「テロ」はセンセーショナルであるとともに、政治的な言葉でもある。誰が誰を「テロ」と見なすか。その定義は実は簡単ではないという。管見によれば、欧州の多くの高級新聞や通信社は、「テロリズム」という言葉は極力使用しない。使うにしても、政治家や警察発表など、第三者の談話からの引用としてしか使わないというルールさえある。(たとえば、私のかつての勤務先の英国ロイター通信社では、次のようになっている)
http://blogs.reuters.com/blog/2007/06/13/when-does-reuters-use-the-word-terrorist-or-terrorism/
事件の詳細が分からぬうちから無批判に「テロ」という言葉が使われる。それは、この国が「テロ」という言葉を使うことによって国家の内側で沸き起こる民族間の憎悪や内部分裂を深く経験していない証拠かもしれない。日本のジャーナリズムは、受け手を均質的な日本人しか想定していないために、政府と「テロ」という言葉を唱和することに違和感はないのだろう。「テロ」という言葉の無批判な使用は、グローバルな社会的文脈への鈍感さとも重なる。
そんな思いで新聞をまた眺めていると、18日の読売新聞一面トップの見出し「民主、新テロ法採決拒否へ」という見出しが目に飛び込んでくる。読売新聞が呼ぶところの「新テロ法」、朝日新聞は「補給支援特別措置法」、日経新聞は「給油法案」となっていた。正確な名前は、「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法」。長ったらしい法案名を省略する際、「テロ」の部分を強調するか、「補給支援」を強調するか。法案をいかに表記するかによって法律の印象は変わり、それによっておそらくこの法案をめぐる読者の意見形成にも影響を及ぼすかもしれない。
「テロ」と言う言葉は、「テロ」という行為の中身の恐ろしさだけではなく、「テロ」という言葉を使う者の考え方、姿勢をも示唆する。
この報告をまとめている今、悲しいかな…「インド同時テロ」が発生した。許されない蛮行だ。
◆1600人規模…一挙に膨れ上がった参加者数
当初1000人規模とされた訓練参加者数が、最終的な発表では一挙に1600人に膨れ上がった。負傷者役避難住民役を演じる一般市民の参加は350人とされ、当初目標の700人を大きく下回っていたにもかかわらず、大きく膨れ上がったのは県や市の動員の他、指定地方公共機関となっている交通事業者や日赤関係者によるものと思われる。「自主的参加」のお題目は崩れ去り「動員」が幅を利かしてしまったのでないだろうか。確認が必要な事項である。
◆「外国人4人組のテロリスト」の設定に…
犯人グループの想定は国籍不明、すなわち外国人とされた。しかも日本語が分かる人間が一人いて投降を呼びかける県警機動隊とのやりとりが可能になるといった「都合のよい」設定だ。問題は犯人グループが「外国人」に設定されていることではないか。世界各地でイスラム原理主義者とされるグループの「テロ」が頻発していることと結びつけ、体感的に「身近さ」を植え付けるとともに、外国人を排斥してしまう発想に結びつきかねない問題点をはらむ。
◆直接の「武力攻撃事態」を想定した訓練になっていくのか
報道によれば、県知事は「避難・誘導の役割分担が確認できた。課題を整理し検証する」と述べ、官房副長官は「テーマをしぼり訓練を重ねていくことが重要」と述べ「武力攻撃事態を想定した訓練の実施に前向きな姿勢を示した」としている。(信濃毎日新聞) 県や市の今後の取り組みをしっかり監視しなければならない。
◆看過できない知事発言
訓練前の知事会見で村井県知事が「結局、緊急事態というのは、何が必要かと言うと、国民の権利を制限し、義務を課することを通じて、生命財産の安全を確保することが可能になる世界が緊急事態…私は正直言って、現在の国民保護法が十分だとは思っていない。あまりにも、権利の擁護のところばかり言っていて、個人的には行動の制約が不十分だという感想を私は持っている」と述べたことだ。またこうも述べた「日本は戦争を放棄しているけれど、戦争は日本を放棄していない」と。最後には「現にある法律の中での訓練しかできない、それ以上のことは考えていない」と締めくくったのたが、大きな問題が残る。一つは防衛省ですら「直接、日本を侵攻する国はない」としている事実に目をつむり「いつ攻められるか分からない」との根拠のない不安をあおっていること。「テロ」と「戦争」の国際法上の厳密な区別なしに「対テロ戦争」との認識で、「テロ」を戦争とみなしていること。さらには今、頻発する「テロ」は米国に向けられているものであって、日本が米国を支援するが故に日本がテロのターゲットとなる危険性を広げている歴史的事実に向き合っていないこと。そして「基本的人権は制約されてしかるべき」として、「国民の安全・権利」よりも「国家の安全」を優先させる戦前の国家総動員的発想を吐露してしまい、結果、世界人権宣言の重み、そして日本国憲法の基本理念を否定してしまったことだ。 このことは正されなければならないと思う。
◆「自衛隊のトン汁」はうまかった…
視察の終わりに若里公園で自衛隊が作った「トン汁」と日赤奉仕団の皆さんが作った「おにぎり」を試食した。災害支援で貢献している自衛隊給食部隊の「トン汁」はなかなかだった。複雑な思いで食したのだか、これも感想のひとつ。
◆でも思うのだ!こんな訓練の必要のない社会にしたい!できることは確実にあるのだから!
私は「非戦の思想」を堅持したい。武力でテロは防げないし、武力で平和はつくれないからだ。
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