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06年11月16日記
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最初の発破から62年…改めて、松代大本営地下壕工事を考える


         

■11月11日松代大本営最初の発破から62年
 朝鮮人犠牲者追悼碑を守る会が総会

 11月11日、松代大本営追悼碑を守る会(正式名称=松代大本営朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑維持管理委員会・塩入隆会長)はサンホール・マツシロで11回目の総会を開くとともに、地域住民を交え「松代大本営工事と地域を語る集い」を催しました。11月11日は、62年前に松代大本営地下壕工事で最初の発破がかけられた日で、会では毎年この日に総会等を開いてきています。
 20年前にさかのぼりますが、私は松代大本営地下壕の保存運動に関わり、追悼碑建立、追悼碑を守る会の運動の事務局を担ってきています。

 総会では塩入隆会長が「追悼碑の建立運動から15年、情勢は様変わりしている。北朝鮮の核実験然り、北東アジアに非核3原則を広げなければならない。阿部首相の歴史認識には大きな危惧を抱かざるを得ない。日本の前途が危ぶまれる状況が強まっているこの時に、あの愚かな戦争があったことを示す松代大本営工事の現場を残し、植民地からの強制連行があったことを証言し、大本営跡が日本の歴史を正しく見据えるよすがであることを発信していこう」と決意を表明しました。2007年度の事業計画では、松代大本営地下壕の国の近代史跡に関する調査報告が来年3月までに出される見通しの中、「松代大本営」からの平和の発信力を強めていく新たな段階迎えているとし、碑を建立した8月11日、壕の工事が始まった11月11日を柱に、松代大本営工事の犠牲者と真相を追究する取り組みを進めていくことを確認しました。


 会では、この総会にあわせ、「松代大本営工事、犠牲者と真相を尋ねて」と題する冊子(写真)を発刊しました。冊子は追悼碑建立運動段階からのニュース、研究調査報告、追悼碑穂守る会・会報「いわかげ」をすべて網羅し合冊したもので、追悼碑建立10周年事業としてまとめられたものです。既に逝去され聞き取り不可能となっている貴重な証言も含まれ、松代大本営工事の真相に迫ろうとする「守る会」の研究の道程だけでなく、松代大本営工事を研究される人々にとっても重要な資料となるものだと思います。1冊1500円です。問い合わせは布目まで。



■地元住民、強制退去のつらい体験を語り合う

 「大本営工事と地域を語る集い」で

 追悼碑を守る会や松代地元の西城地区を考える会のメンバーで実行委員会をつくり催された「松代大本営工事と地域を語る集い」では、大本営工事で立ち退きを強制された西条地区の住民の皆さんが記憶をたどりつらい体験を語りあい、70人余の参加者は過去の歴史に真摯に聞き入りました。地元住民が参加する集いは初めてのこと。この日は、地元で工兵として地下壕工事にかかわった吉田栄一さん(80歳)らをはじめ7人の住民が証言しました。西条地区は天皇御座所や大本営が入る予定であった地下壕が掘られ、130戸の住民が強制退去を命じられた地区、生業であった養蚕を捨てて疎開せざるを得ませんでした。朝鮮人労働者の住居や慰安所も設けられた地区です。


 児沢融さん(71歳)が「損害に対し国の謝罪も補償もない。われわれは本当の意味で終戦が来ていない。たくさんの人に松代で何があったかを正しく理解してもらうことで終戦を迎えることにつながる」と語ったことは、今まで地元の戦争被害にまで想いを至らせていなかった私には、衝撃でした。
 冨沢照男さん(74歳)は故障した軍幹部の車を修理するのを見ていた弟が引火したガソリンをかぶり亡くなったことを声を詰まらせながら語りました。「発破の作業で50キロくらいの石が飛んできて、屋根に穴が開いた。恐ろしいことだと家族で話した」などの証言が相次ぎました。また、西城地区に流れる神田川の水が生活水であったためか、赤痢がはやり亡くなった人々がいたことも証言されました。「発生源探しにつながり、地元では今まで伏せてきた事実」です。
 今までに西条地区では有志の皆さんが「大本営建設、西城地区住民の証言」として「松代で何があったか」(龍鳳書房出版)をまとめ発表していますが、これに掲載されていない証言も語られました。


 戦争遂行のための大本営建設、朝鮮人強制労働という視点だけでなく、強制退去させられれた史実、地域住民が被った戦争被害に光をあてた貴重な集いとなりました。


■年間に13万人が訪れる地下壕、戦争史跡指定が待たれる
 松代大本営地下壕は加害の歴史を学ぶ生きた教科書です。同時に住民の戦争被害を学ぶ場でもあります。
 駐車場の整備がようやく始まりましたが、史跡指定を見通しての周辺整備が急がれます。また、現在の地下壕の公開部分は入り口から500メートルですが、公開部分の拡大にも取り組んでいきたいと考えています。


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