9月24日から30日の日程で、長野市民友好訪中団の一員として中国を訪問しました。中国・石家庄市との友好都市締結25周年を記念して取り組まれたもので、市長を団長に、市議会議員、長野市日中友好協会の皆さん、公募市民の皆さん、総勢31人の皆さんでの訪問となりました。
石家庄市では学校や病院、企業などの視察施設はもとより、滞在するホテルにまで「歓迎!長野市民訪中団」の垂れ幕が掲げられるほどに、熱烈な歓迎を受けました。中国側の友好都市への熱の入れように感激したものの、日本での対応に思いを馳せると戸惑いも率直に感じました。
訪問先は石家庄市と北京の2都市、7日間の内、4日間を石家庄市で過ごしました。人口13億を抱える中国のエネルギーと民衆のたくましさを感じた1週間でした。
貴重な税金を使っての議員派遣。一人ひとりが友好親善大使のつもりで参加させてもらいました。
中国・石家庄市を訪問しての思い出ベスト5をまず掲げて、簡単に概要を報告します。
【写真】石家庄市人民広場・「友好の鐘」の前で、議長を囲んで市会議員のメンバー。
■思い出ベスト5
ベスト1 石家庄市での熱烈歓迎
ベスト2 北京の交通渋滞
ベスト3 石家庄市でのスクラップ・アンド・ビィルド
ベスト4 自転車
ベスト5 都市と農村、光と影
■パトカー先導でノンストップ
石家庄市は河北省の省都として政治、経済、文化の中心地。首都北京から南西280km、鉄道で約4時間のところにあります。内陸交通の要衝で、小麦と綿花の主要な産地、リンゴ、梨等の果樹栽培も盛ん、紡績、医薬、機械、電子工業が中心で、特に紡績は中国六大紡績基地の一つとされています。北京からはバスで高速道路を移動、約3時間半かかりました。北京の交通渋滞はすさまじく、北京市街地を脱出するのにかなりの時間を要しました。石家庄市に入るとパトカーが先導に、滞在中もすべて先導付のノンストップ、「快適」ではありましたが、中国市民の皆さんに申し訳なく思いました。日本では皇族をはじめ外国要人や国務大臣以外ではあり得ない事ですから…。
■広大なトウモロコシ畑
北京から石家庄市に続く高速道路の両脇は広大なトウモロコシ畑が延々と続いています。小麦との二毛作が行われているようです。トウモロコシは飼料用で、その芯は注射の薬剤に使われているとのこと、医薬品産業を支える原料に妙に感心しました。
しかし、収穫時なのですがトラクターなどの大型機器はなかなか目に付きません。目にするのは村の皆さんが数人で、手で刈って三輪トラックに積み込んでいる姿です。首都や市街地は高層ビルが立ち並んでいるのに…。
【写真】三輪トラックで運ばれるトウモロコシ
■中日青少年絵画交流展示会の開会式
最初の公式行事、石家庄市との友好都市締結25周年を記念して企画された「青少年絵画交流会」の開会セレモニーに。石家庄市電波塔で催されているもので、石家庄市の子どもたちの書や絵画、長野市の小中学校の児童・生徒の作品が展示されていました。石家庄市の子どもたちの作品は大人顔負けのすばらしさ、日本の小学生たちの作品では色使いの巧みさに感動しました。夕方からは、人民会堂で石家庄市委員書記・市長の呉顕国氏との会見に続き、呉市長の招待会に招かれ、中国料理と52度のマオタイ酒を満喫させてもらいました。でも、中国での「乾杯」攻勢にはさすがに参りました。
【写真】絵画交流展示会のオープニングセレモニー・後ろの「龍」の書を書いた女子中学生と・日本の小学生の作品
■石家庄市委員書記との会見〜芸術学校での25周年記念式典
呉市長は、市共産党委員書記を兼務している(市長が書記を兼務している例は少ない)有能な人材であるとのこと、若くバイタリティを感じさせる市長です。私たちの訪問時には、共産党の石家庄市大会が開かれており、多忙な中、時間を割いていただいたようです。
【写真】呉顕国市長・委員書記との会見模様、市長の招待会での様子、下段は芸術学校での記念式典
レセプションの後、石家庄市芸術学校で25周年記念式典が催され、朱副市長と鷲沢市長の挨拶に続き、生徒さんたちのすばらしい踊りと歌を堪能させてもらいました。
朱副市長からは、農業の振興や研修生の受け入れに大変感謝していることが強調され、今後もこうした固い絆が深まることを強く期待している旨のあいさつがありました。
■石家庄市第一中学校〜第一病院
中国の中学校は、12歳から17歳までの6年間、日本でいえば中・高一貫教育課程にあたります。訪問した第一中学校は1947年に開校、歴史が古く河北省の有名校の一つ、大学進学率はNO.1だそうです。3000人が在籍、そのうち約千人が寮生活を送っています。スポーツも盛んのようで、いわば、文武両道で中国の頭脳集団を育てるエリート校といえるでしょう。友好都市である長野市とは中学生の交換交流が定期的に行われており、日本の他、アメリカやイギリス、オーストラリアやシンガポールとの交流も盛んとの事でした。中学4年生(高校1年)の教室を覗かせてもらいましたが、一つの教室には50人を越える生徒がぎっしりと並び、真剣なまなざしで勉強していました。グランドなどは広く快適な環境ですが、教室の環境は日本的に考えると狭く、良いとはいえません。社会主義的環境なのでしょうか。私たちにはわき目も振らず、黒板に見入っている姿が印象的でした。
【写真】中学校ではブラスバンドに迎えられる、体育の授業中・グランドで、授業風景
続いての訪問先は第一病院。700床で1,074人の医師・看護士のスタッフを抱える市内最大規模の病院です。診断者数は年間35万人、入院患者は年1万5千人で1億5千万元(日本円で22億5千万円)の収入との事。国民保険に近い保険制度があるようで、本人4割負担との説明を受けましたが、病院そのものは100平方キロに1箇所が基準だそうで、普通の市民=庶民にとっては、病院は身近な存在とはいえないようです。家庭漢方薬の世話になっているということなのでしょうか?。
■現代漢方の「神威薬業」〜石家庄ハイテク産業開発区〜紡績工場「恒新紡績集団」
企業も視察しました。印象に深かったのは、市内のハイテク産業開発区。同区は1991年に設立された産業開発区で、面積18平方キロ、人口20万人、日本で言う工業団地とは違い、管理委員会のもとに一つの行政区を構成しているものです。開発区では住宅や道路、上下水道の整備、学校など、市の指導のもとに独自に運営されているそうです。登録企業数は1520社、外資系は110社に及びます。日本企業としては日商岩井、日本電気硝子、ニチメン、富士通などが進出、残念ながら長野県内企業はないそうです。開発区の副主任さんは「長野市との経済交流に強く期待したい」と述べていました。
かなり大規模な工場立地地帯ですが、まだまだ更地部分があるように思われました。説明にいただいたパンフレットは「日本語」で、日本企業向けのもの。「安いコスト」が強調されています。パンフによれば労働者賃金は平均月収で500元〜800元(日本円で7500円〜12000円)、管理者クラスでは1000元〜3000元(日本円で15000円〜30000円)とのこと。区内のマンション価格は1u当たりで1200〜3000元、50uのマンションは10年〜20年分の賃金分に相当します。単純に比較はできませんが、安い労働力を売り物にしていることは間違いありません。
開発区内にある紡績工場「恒新紡績集団」や、現代漢方の薬品会社「神威薬業」らを視察しました。
【写真】石家庄市人民代表大会(議会にあたる組織)の王長敏主任との会見、紡績工場の様子
■長野市が寄贈した「友好の鐘」
友好都市締結20年を記念して長野市が石家庄市に寄贈した「友好の鐘」も確認してきました。市役所の前にある人民広場の一角にあります。友好の証として「平和」が鳴り響くことを願わずにはいられません。
【写真】石家庄市役所のビル・表には五輪マークも、友好の鐘の前で、人民広場の毛沢東の像・国慶節の準備があわただしく行われていました。
このほか石家庄市では、趙州橋(ちょうしゅうばし)、柏林寺(はくりんじ)、大仏寺、植物園を視察しました。
■天安門広場〜故宮〜万里の長城〜オリンピックスタジアム
石家庄市での公式行事を経て移動した北京では、天壇公園や天安門広場、万里の長城などを訪問しました。2008年の北京オリンピックのメイン会場となる建設中のスタジアムも目にすることができました。
【写真上】天壇公園で鷲沢市長ご夫妻と、天安門広場、万里の長城「八達嶺」
【写真下】「八達嶺」で記念写真、建設中の五輪スタジアム・鳥の巣をあしらったデザインだそうです。
万里の長城には圧倒されました。訪問したのは北京から車で1時間ぐらいのところにある「八達嶺」、長城見学としてはもっともポピュラーな場所らしいです。見学したのは、総延長6000kmのホンの一部分に過ぎませんが、秦の始皇帝時代に想いを馳せながら、歴史の悠久を実感しました。
■中国といえば自転車
北京も石家庄市も市街地の幹線道では自転車道が設けられています。とはいえ、交差点付近では自動車の隙間を自転車が駆け巡るという感じで、見ているだけでハラハラものです。右側通行に対する違和感もあるのですが、横断歩道もおちおち歩いて渡れないような混雑振りです。それだけ車が増えているということなのでしょう。フォルクスワーゲン、BMV、ホンダ車が目立ちます。2年ぶりに訪問した市長も「自家用自動車が急速に増えている」と述べていました。北京市街地は立体交差が多く、東京以上に現代都市です。08年のオリンピックは大丈夫なのか、他国の事ながら不安に思うような状況です。
自転車の話に戻りますが、北京と石家庄市では、乗られている自転車に既に違いがあります。北京ではオフロード用やスポーツ車も目につきますが、石家庄市ではいわゆる昔の自転車、すべてが年代ものでした。首都と地方都市の違いが、都市と農村の生活水準の違いを垣間見た思いがします。
■スクラップ・アンド・ビィルド
北京もそうでしたが、石家庄市の中心とでは市街地の再開発、スクラップ・アンド・ビィルドが急速に進められているように感じました。中心地においても住宅団地が整然と並んで立てられているのですが、これを高層化していく計画が進んでいるようです。【写真右】
海外資本のお店が並ぶ目抜き通りを一歩中に入ると、すぐに4階〜6階建ての住宅団地にぶつかります。いずれもかなりの築年数を経ているもので、路上にお年寄りが一人でぽつんといすに座っている姿が印象的でした。石家庄市内においても中心地と農村地帯の格差、そして、その中心地における格差の存在は、まさに現代中国の光と影なのかもしれません。【写真下】
蛇足ですが、観光地で、「シェンエン、シェンエン(千円)」といって近づいてくる物売りの女性たちの多さにも、一種の悲しみを感じてしまいました。
■52度の白酒(パイチュウ、製品名であるマオタイ酒が有名)での乾杯
中国の宴席では乾杯を何度も行うのが習慣。乾杯用には、小さいグラス(小酒杯)を用いるのですが、飲んだ後で、相手に向けて杯を傾け底を見せたり、逆さにして飲み干したことを示します。連日、招待の宴を催していただき、この習慣に煽られ(?)、随分と白酒を頂戴しました。白酒は「薫り高い」と表現されるごとく、芳香の強い(どちらかというと匂いがきつい)お酒です。最初は「紹興酒は出ないのかな」などとわがままなことを言っておりましたが、1週間ですっかり馴染んでしまいました。今となれば懐かしい香りです。
■「政冷経熱」の日中関係の改善を
国のレベルでは「政冷経熱」と表現される日中関係、安部新総理が中国を訪問するようですが、正しい歴史認識のもとに、政治も経済も熱くなるような日中関係の再構築を願います。もっとも安部総理では無理かもしれませんが…。
「百聞は一見にしかず」といいますが、貴重な経験をさせていただきました。民間外交の積み重ねが友好親善の絆を深くしていくことを確信して報告とします。取り留めのない報告となりましたが…。訪中団の皆さん、ご苦労様でした。謝謝!
【写真上】車窓からの北京の様子
【写真下】高速道サービスエリアのトイレと売店で売られる果物、車の合間を縫う自転車
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