9月市議会の焦点の一つ…松代大本営地下壕跡の案内看板の修正
松代大本営地下壕跡の案内看板やパンフレットから朝鮮人労働者の記述について「強制的に」の4文字が削除された問題を質問で取り上げ、「歴史に向き合う真摯さの欠如」を指摘するとともに、朝鮮人が強制連行された史実に基づき、即時復元を求め、市側の対応を質しました。
明日10月1日の検討会で見直し方針
9月市議会後の今日的段階では、市側は10月1日に庁内に設置した「検討会」の3回目の会合を持ち、案内表記について一定の見解・方針をまとめるという段階を迎えています。
市は、議会答弁では「長野市誌を十分参照し、客観的事実の記載に努め、簡潔で分かりやすい表記とするとともに、見解の分かれている部分については、両論を記載することを見直しの方針とする」と述べてきましたが、9月26日の第2回検討会では、「強制性をめぐって見解が分かれる部分は、それぞれを併記する方向で記述内容を検討」(信濃毎日新聞)するとされ、「両論記載」から「両論併記」へと微妙にロジックのすり替えが進行しています。
歴史の真実・実相は一つです。そもそも歴史に関し、「両論」という対極的な考え方、問題意識が成り立つのでしょうか。朝鮮人の強制連行について「オール・オア・ナッシング」の議論は最初からありません。
改めて、私の質疑を織り交ぜながら、この問題を考えてみたいと思います。
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朝鮮人労働者の「強制性」は争う余地のない史実
松代大本営工事の建設に従事した朝鮮人労働者は約6千人と推定され、さまざまな証言や記録から、朝鮮半島や日本国内の建設現場などから強制的に連行された労働者が数多く存在する事実が明らかになっています。アジア・太平洋戦争時には日本国内でも「徴用令」により多くの日本人が労働力として動員されましたが、戦争末期には当時植民地であった朝鮮半島でも「徴用令」が適用され、日本国内での労働力不足を補うために官憲もかかわった「強制連行」により、多くの朝鮮人が日本国内の建設現場などに動員されました。
これらは、「認識」の問題ではなく厳然たる「歴史的事実」です。朝鮮人労働者の「強制性」は争う余地がない史実です。
「さまざまな見方がある」として「さまざまな見方を反映させる表示」ではなく、植民地支配下における労務の肉体的・精神的強制にしっかり着目し、史実に基づく正確な認識、大局的な歴史認識を示すことが重要です。
松代大本営工事へ「自主的」に来た朝鮮人労働者もいたという見方については、証言等から事実として認知していますが、日本政府が朝鮮半島を植民地化するという当時の状況において、朝鮮半島の人々が日本国内に仕事を求めて移住せざるを得なかったという点から、意に反した「強制性」があったことに着目する視点も必要であると私は考えています。
思慮を欠いた行為であるならば、即時復元を
市がテープを貼った行為を「思慮を欠いた行為であり、混乱を招いたことを謝罪する」とするのであれば、まずは原状回復・復元した上で、再調査・再検討することの是非を考えるべきと質しました。
これに対し、商工観光部長は「対応が不適切であったとはいえ、市の判断としたことは変わりがないため、テープを外し原状回復することについても、その是非が問われると判断している」と述べ、原状回復を否定しました。
思慮を欠いた不適切な行為であれば、原状に回復し、改めて「検討見直し中である旨」を看板で告知すればよいと考えます。一旦行った行政判断を覆させることの困難さを実感します。潔くない一件です。
「過ちては改むるに憚ることなかれ」といいたいところです。
「長野市誌の記述の引用」を強く提案
長野市誌には「地下壕掘削工事の主要な労働力は、日本国内にいた朝鮮人労働者と植民地だった朝鮮半島から強制連行されてきた朝鮮人によるもので、合わせて多いときで7000人といわれる(朴慶植調査)。朝鮮人強制連行調査団の記録では、五回にわたって計4000人が連行されてきたとしている。このほか、東部軍作業中隊などの日本兵と周辺の市町村から徴集された国民勤労報国隊、大学高専生と地元中等学校生、国民学校生などが勤労奉仕に駆り出された」と記載されています。
*「長野市誌-第六巻-歴史編-近代二」、第7章「政治体制の進行と敗戦」・第3節「戦時体制と市町村民」中の「松代大本営の建設と強制労働」
市は「長野市誌を十分参照し、客観的事実をわかりやすい表現で伝えるよう標記の見直しを行う」と述べ、長野市誌の記載内容をベースにする考えを示し、「地元松代地域や関係団体に丁寧に説明する」姿勢を示しました。
「外部の有識者や市民参加による検討」も提案しましたが、退けられました。長野市誌の評価については、後述するように、市長とは微妙な?違いを表面化させ、問題の本質が見誤られる危険性を残しています。
「地下壕工事の調査・評価は国の責任」と述べ、自治体の責任を回避
市長は、8月27日の記者会見で「あくまでも戦争遺跡であり、問題には踏み込まない。検討委員会をやることにあまり賛成していない」と述べました。また、議会初日の議案説明では「大きな論点の是非もさることながら」と論点を回避する姿勢を滲ませてきました。
これらの発言の真意を質したところ、看板やパンフの記載内容の変更について、「強制的な動員について、その事実を否定する意図をもって行ったものではなく、全てが強制的であるとの誤解を避けるために行ったもの」と弁明する一方、「地下壕建設は戦時下における国家的プロジェクト事業であり、国が責任を持って調査すべき。一自治体が調査し評価すべきものではない」と述べ、国への責任転嫁に終始しました。戦争にかかわる郷土史をどのように後世に伝えていくのか、これは優れて自治体の、そして首長の姿勢が問われる課題です。
さらに長野市誌の記載について、私の再質問に対し市長は「編纂当時に示された一つの見解」という答弁で長野市誌の記載内容を矮小化する考えを示し、さらに「強制があったか、なかったかの議論には踏み込まない」と「オール・オア・ナッシング」の論理立てで歴史を捻じ曲げる姿勢を露わにしました。
歴史に向き合う真摯さは、行政のトップとして必要不可欠な資質です。
様々な見解…「両論併記」の矛盾
市長は「強制的に動員されたという考え方や全てが強制的ではなかったという考え方など様々な見解がある」とし「様々な見解があることを認め事実をそのまま伝えることが管理者としての誠実な姿勢」と強調します。
そもそも論になりますが、二つの見解は対極にあるものではありません。長野市誌においても「主要な労働力」は「日本にいた朝鮮人労働者」と「朝鮮半島から強制連行された朝鮮人」と捉えているのです。二つの見解が対立するかのように描き出し、「両論記載」「両論併記」とすることは、とんでもない論理矛盾であり歴史への背反行為です。「誠実」どころか「不誠実」で「間違った」姿勢と言わなければなりません。
いかなる戦争史跡として後世に語り継ぐのか
市長の発想は、「強制連行があったか、なかったか」という本質については判断を避け、「全てが強制的ではなかった」との意見を尊重するスタンスです。歴史の「大局」と「部分」をはき違えてはなりません。
「両論併記」とするロジックの誤りがここにはあります。結果として強制連行の歴史を歪め矮小化し、さらには戦争責任を回避する姿勢を打ち出すことになりかねない重大な問題を孕んでいます。
過去の歴史に真摯に向き合い、歴史を大局的に俯瞰し史実を見極めることが問われます。
郷土史に残る加害と植民地支配の歴史、松代・西条地区における強制退去に象徴される地元住民への強制と被害の歴史から、二度と戦争しないことを誓い合う「生きた歴史教科書」として大本営地下壕跡を考えることが大切です。
戦時下当時、素掘りのまま残る岩肌から、「戦争の狂気、悲惨」「平和の尊さ」を心に刻んでこその戦争史跡なのではないでしょうか。
教育委員会への所管変えも提案
私は質問で、松代大本営地下壕について、現行の商工観光部所管の観光施設から、教育委員会所管の歴史教育・学習施設、文化財施設に移管させることを提案しました。これまでにも幾度となく取り上げられた課題です。
これに対し市側は「史跡指定に関わる文化庁の近代遺跡調査報告書が刊行されていないこと、また昭和63年(1987年)3月に設けられた松代象山地下壕検討委員会で「将来の史跡でもあるが、観光資源としても考える提言」がされていることなどから、「教育委員会文化財課とも協議し、当面は観光振興課の所管施設として管理していく」方針が改めて示されるにとどまりました。
案内表示問題の成り行きを見極めながら、さらに求めていきたいと思います。
10月1日の第3回検討会は、どんな内容でまとめるのか
明日1日には、庁内の検討結果として、見直し方針が「表記内容」を含め情報が開示されることになりそうです。
「実はこんな内容で検討中。議会の意見は?」との打診がなされるものと推察していましたが、事後報告になってしまうのでしょうか。「関係団体への丁寧な説明」とのレベルで…。
改めて注意喚起したいと思います。「過ちては改むるに憚ることなかれ」と…。