太平洋戦争末期、本土決戦に備える陸軍により、大本営や天皇・皇族、政府機関を東京から移すために突貫工事で行われた地下壕建設工事には、当時、植民地支配下にあった朝鮮人、約7千人が動員され、多くの犠牲者を出しました。犠牲者の詳細は戦後67年経った今も尚、解明されていません。
象山地下壕前に建つ「松代大本営工事・朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」は、1995年、戦後50周年を迎え、戦争責任、戦後補償が改めて問われる中、超党派の取り組みで建立されたものです。
建立運動は、その後「松代大本営追悼碑を守る会」(会長=塩入隆・県短大名誉教授)に引き継がれ、現在に至っています。私は、運動当初から事務局次長を務めています。塩入会長とともに「永年」になるのでしょうか???…。役職はともかく、ライフワークの一つにしているテーマです。
毎年10万人を超える見学者を迎える大本営地下壕跡…、戦跡指定により侵略戦争の加害の歴史と戦争の狂気を問い、平和を考える“生きた教科書”として明確に位置づけるとともに、見学者の増による周辺の環境整備もさらに充実させる必要があります。
今年4月新版の帝国書院発行・中学校歴史教材「アドバンス中学歴史資料」に、松代大本営の象山地下壕と追悼碑の写真が掲載されました。「戦争と平和を考える遺跡・施設」のコーナーです。朝鮮人の強制連行・強制労働には一切触れられていませんが、歴史教科書が「侵略・加害」の記述から大きく後退する中では、一歩前進です。
壕前の集いに続き、サンホール松代で「追悼碑を守る会第18回総会」を催し、追悼碑の維持管理、地下壕と追悼碑の歴史的意義の啓発・啓蒙を柱とする事業計画等を決定しました。昨年は市議選のため欠席…。今年は”議長”役でした。
残念なことは、民団が参加されなかったことです。追悼碑の運動は、日本人側を主体に在日団体である朝鮮総連と韓国民団の2団体と連携して進めてきましたが、朝鮮半島をめぐる情勢によるものなのでしょうか、ここ数年、民団の代表参加が叶っていません。運動の原点に立って、連携を深めたいものです。