「核のない21世紀をめざして~繰り返すな!原発震災、めざそう!脱原発社会」をスローガンとする大会では、長野県原爆被害者の会から松代在住の小山節子さんを招き、被爆体験をお聞きしました。
小山さんは84歳。4歳の時に軍工事に関わる父親の仕事先である広島県・呉に転居。67年前の8月、看護師となっていた小山さんは、米軍のロケット焼夷弾の攻撃に「この戦争は勝てない」と悟っていたとします。
原爆が広島に投下された8月6日は、お昼過ぎに被爆地点である原爆ドーム付近で救護活動にあたったそうです。「川面に折り重なる真っ黒な遺体が忘れられない」とつらそうに語ります。当時は医療品もなく言葉をかけるだけ…、「尊い命が戦争によって失われてはならない」と痛感されたそうです。
戦争の本当の恐ろしさを知らない今の為政者の言葉には「情けないというよりあほらしく感じてとしまう」と嘆きつつ、「同じ過ちを2度と繰り返してはならない。若い人たちに戦争の恐ろしさを伝え、人間らしく勇気をもって行動したい。全身全霊で戦争を拒否する」と、静かに、でも力を込めて訴えました。
身近に存在する戦争の語り部を発掘し、次代に残し伝えることの重要性を改めて痛感しました。
午後には、青年たちが取り組む反核平和の火リレーの激励に。「語り継ごうヒロシマの心」をスローガンに県内を一巡するもので、今年が25回目となる取り組みです。
核と人類は共存できない…核兵器も原発もない、安心で平和な社会をめざし、頑張りたいものです。老いも若きも一緒になって!!