6月23日は沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日から76年にあたる「慰霊の日」。1965年に制定され、この日は沖縄では役所や学校が休みになります。県内各地で追悼式が開かれ、沖縄は平和への祈りに包まれます。
糸満市摩文仁の平和祈念公園で営まれた沖縄全戦没者追悼式では、宮古島市立西辺中学校2年の上原美春さん(13)が「平和の詩」を朗読しました。タイトルは「みるく世(ゆ)の謳(うた)」。「暗黒の過去」を見つめつつ、命をつなぐ大切さが綴られました。
胸に染み入ります。
【動画】平和の礎を訪れた人たちの思い 中学生の平和の詩 2021慰霊の日ドキュメント【琉球新報より】
みるく世の謳
みるく世の謳
宮古島市立西辺中2年 上原美春
12歳
初めて命の芽吹きを見た。
生まれたばかりの姪は
小さな胸を上下させ
手足を一生懸命に動かし
瞳に湖を閉じ込めて
「おなかすいたよ」
「オムツを替えて」と
力一杯、声の限りに訴える
大きな泣き声をそっと抱き寄せられる今日は、
平和だと思う。
赤ちゃんの泣き声を
愛おしく思える今日は
穏やかであると思う。
その可愛らしい重みを胸に抱き、
6月の蒼天を仰いだ時
一面の青を分断するセスナにのって
私の思いは
76年の時を超えていく
この空はきっと覚えている
母の子守唄が空襲警報に消された出来事を
灯されたばかりの命が消されていく瞬間を
吹き抜けるこの風は覚えている
うちなーぐちを取り上げられた沖縄を
自らに混じった鉄の匂いを
踏みしめるこの土は覚えている
まだ幼さの残る手に、銃を握らされた少年がいた事を
おかえりを聞くことなく散った父の最後の叫びを
私は知っている
礎を撫でる皺の手が
何度も拭ってきた涙
あなたは知っている
あれは現実だったこと
煌びやかなサンゴ礁の底に
深く沈められつつある
悲しみが存在することを
凛と立つガジュマルが言う
忘れるな、本当にあったのだ
暗くしめった壕の中が
憎しみで満たされた日が
本当にあったのだ
漆黒の空
屍を避けて逃げた日が
本当にあったのだ
血色の海
いくつもの生きるべき命の
大きな鼓動が
岩を打つ波にかき消され
万歳と投げ打たれた日が
本当にあったのだと
6月を彩る月桃が揺蕩(たゆた)う
忘れないで、犠牲になっていい命など
あって良かったはずがない事を
忘れないで、壊すのは、簡単だという事を
もろく、危うく、だからこそ守るべき
この暮らしを
忘れないで
誰もが平和を祈っていた事を
どうか忘れないで
生きることの喜び
あなたは生かされているのよと
いま摩文仁の丘に立ち
私は歌いたい
澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ
今日生きている喜びを震える声帯に感じて
決意の声高らかに
みるく世ぬなうらば世や直れ
平和な世界は私たちがつくるのだ
共に立つあなたに
感じて欲しい
滾(たぎ)る血潮に流れる先人の想い
共に立つあなたと
歌いたい
蒼穹(そうきゅう)へ響く癒しの歌
そよぐ島風にのせて
歌いたい
平和な未来へ届く魂の歌
私たちは忘れないこと
あの日の出来事を伝え続けること
繰り返さないこと
命の限り生きること
決意の歌を
歌いたい
いま摩文仁の丘に立ち
あの真太陽まで届けと祈る
みるく世ぬなうらば世や直れ
平和な世がやってくる
この世はきっと良くなっていくと
繋がれ続けてきたバトン
素晴らしい未来へと
信じ手渡されたバトン
生きとし生けるすべての尊い命のバトン
今、私たちの中にある
暗黒の過去を溶かすことなく
あの過ちに再び身を投じることなく
繋ぎ続けたい
みるく世を創るのはここにいるわたし達だ
琉球新報=「慰霊の日」写真アルバムより
沖縄タイムス社説=[全戦没者追悼式]遺族の思いひしひしと
戦後76年。制定から60年の節目を迎えた「慰霊の日」は、昨年に引き続き新型コロナウイルス感染拡大の影響を大きく受けた。
緊急事態宣言が出される中、糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた沖縄全戦没者追悼式の参列者は、わずか36人。例年は5千人規模で開かれており、同じくコロナ下だった昨年の160人余と比べても極めて小規模だった。
各地で毎年開かれている慰霊祭なども中止や規模縮小を余儀なくされ、自主参拝となった所も多かった。
それでも戦没者を悼み、平和への誓いを新たにする慰霊の日の意義は変わらない。
戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」には、花を手向け名前をなぞる遺族の姿があった。3世代で訪れ、そろって手を合わせる家族連れもいた。
終戦翌年に住民の手で建立された糸満市米須の「魂(こん)魄(ぱく)の塔」にも、家族に伴われたお年寄りらが次々に訪れた。
時折打ち付けるような強い雨の中でも祈る姿が各地にあった。平和への思いを途切れさせない、という沖縄の人々の静かな意思が伝わってくる、そんな一日だった。
玉城デニー知事は自身にとり3度目の平和宣言で、戦争体験や教訓を次代に正しく伝えていく決意を示した。日米両政府に、辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれず、県を含めた協議の場を設けるよう要望した。
ただ、全体的に抽象的な表現が多く、強いメッセージをもった言葉としては響いてこなかった。
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一方、同じ平和祈念公園内で関心を集めていたのは、ハンガーストライキを行っていた沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんだ。
具志堅さんは、戦没者の遺骨が眠る沖縄本島南部の土砂が、新基地建設のための埋め立てに使われる恐れがあるとして「人道上許されない」と訴えている。
「遺骨は遺族のもの 戦争基地に投げ込むな」。その訴えは、沖縄にとって戦争がいまだ終わっていないことを浮き彫りにするものだ。
追悼式を終えた玉城知事と会った具志堅さんは、沖縄防衛局の埋め立て変更承認申請を不承認とするよう求めた。ただ、知事は「しっかり考えたい」と答えるにとどまった。
具志堅さんの訴えには平和祈念公園を訪れた遺族らも共感を寄せ、激励の言葉を掛けていた。知事はその思いを受け止め行動に移すべきだ。
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知事の平和宣言で、昨年に続いて新基地建設の断念を求める文言がなかったのはどうしてなのか。
玉城知事は「対立ではなく、より受け止めやすい表現を考えた」と説明するが、それでは知事が何をしたいのか姿勢が見えにくい。
雨の中で平和への祈りをささげた人々の思い、遺骨が眠る土砂が埋め立てに使われれば「戦没者を2度殺すようなもの」という問題提起にどう向き合うのか。
来年の復帰50年に向けて県民の思いや訴えをどう具体化するかが知事には問われている。
琉球新報社説=「慰霊の日」平和宣言 基地削減 決意伝わらない
20万人余が犠牲になった沖縄戦から76年目となった23日の「慰霊の日」に、県民は糸満市摩文仁での沖縄全戦没者追悼式など慰霊祭で「不戦への誓い」を新たにした。
とりわけ「慰霊の日」に発せられる政治家の言葉は例年注目されてきた。玉城デニー知事は平和宣言で、しまくとぅばや英語を交え、沖縄のチムグクルを発信したが、名護市辺野古の新基地建設断念を政府に全く求めなかった。新基地建設が進む現状や、建設に反対する県民の民意を踏まえると危機感が弱く映る。軍事によらない平和の構築に向け基地を抜本的に減らす決意をもっと強く発信すべきだ。
沖縄戦のさなかに米軍基地建設が始まり、過重な負担が76年間続く。現在、米軍や自衛隊のミサイル配備が進んでおり、有事の際は敵のミサイルの標的になる。その上、米国には、核弾頭が搭載可能な中距離弾道ミサイルを沖縄に配備する計画もある。ミサイル戦争になれば、沖縄に核兵器が使われ壊滅的な打撃を被る恐れもある。
こうした機能強化への拒否感が県民の間で強まっている。米軍普天間飛行場にない軍港などの機能が加わる辺野古新基地に多くの県民が反対しているのもその一つだ。
玉城知事は平和宣言で「辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく」と政府に求めた。いくつかの選択肢の中に辺野古を含めてもいいかのような誤解を与える表現だ。2年前の宣言では普天間飛行場の一日も早い危険性の除去と辺野古移設断念を強く求めたが、この文言は昨年に続き省かれた。知事の公約である要求について「慰霊の日」の平和宣言という広く注目される舞台で決意を示さないのは大いに疑問だ。辺野古新基地建設のための埋め立てに、多くの戦没者の遺骨があるとみられる慰霊の地の土砂を使わないよう求めることもなかった。
玉城知事が政府に求めている在日米軍専用施設面積を「50%以下」にする要求にも触れなかった。沖縄戦の悲劇を二度と経験したくない県民の願いに照らせば大幅な基地削減への気概が感じられない。
一方、菅義偉首相はあいさつで基地負担軽減に向け「できることは全て行う」と述べ、北部訓練場の過半返還などを自画自賛した。返還部分は、米軍が「不要」と明言した場所にすぎない。負担軽減は印象操作でしかない。それどころか東村高江に新たなヘリパッドを建設し、機能を強化した。県民投票で投票者の約7割が反対した辺野古新基地建設への埋め立ても強行している。欺瞞(ぎまん)と言うほかない。
追悼式でひときわ光ったのは中学2年の上原美春さんによる「平和の詩」の朗読だ。堂々とした態度と響く声で「みるく世(ゆ)を創るのはここにいる私たちだ」と訴えた。世界の人々が一丸となって軍事によらない平和を築くことが戦没者への最大の慰霊である。
信濃毎日新聞社説=沖縄慰霊の日 現状打ち破る本土の声を
沖縄戦が終結してから76年。きのう糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で、沖縄全戦没者追悼式が営まれた。
玉城デニー知事は平和宣言で、名護市辺野古沿岸での基地建設に言及し「辺野古への移設が唯一の解決策との考えにとらわれず、目に見える形で基地負担の解消を図るよう要望する」と政府に訴えた。
沖縄には今も、在日米軍専用施設の70%が集中する。県民は米兵が引き起こす事件や事故、騒音に脅かされ続けている。
日米両国は1996年、宜野湾市の米軍普天間飛行場を日本に返し、撤去可能な海上の代替施設を整備することで合意した。それが恒久施設へと変わり、普天間にもない機能を備えた辺野古基地計画にすり替わった。
国は埋め立て工事を断行するも予定地で軟弱地盤が見つかる。地盤改良が必要となり、完成は22年度以降から30年代に延びた。事もあろうに、沖縄戦の戦没者の遺骨が混じる土砂を埋め立てに利用する案まで浮上している。
普天間の返還は、96年の合意から「5~7年以内」とされた。長く沖縄の期待を裏切ってきたのに政府は、辺野古への移設が普天間の危険性を除く「唯一の選択肢」と繰り返すだけだ。
菅義偉首相は、追悼式に寄せたビデオメッセージで、沖縄の基地負担軽減に向け「できることは全て行う」と明言した。
言葉に偽りがないなら、普天間の運用停止を直ちに米側に求めるべきだ。辺野古基地の必要性も見直さなくてはならない。
米軍基地だけではない。政府は中国の海洋進出をにらみ、沖縄の与那国島、宮古島、石垣島に自衛隊の駐屯地を順次開設し、ミサイル配備を進めている。
反対する島の人たちの声に、ここでも国は取り合わず、部隊を置く目的も説明していない。
先の国会で、土地利用規制法が成立した。本島を含む沖縄の島々が指定区域になれば、県民は身辺を調べられた上、土地の利用を制限される。米軍基地や自衛隊駐屯地への反対運動は刑事罰の対象にもされかねない。
安倍・菅両政権は法令をないがしろにし、民意を顧みず、辺野古の工事を押し進める。南西諸島の軍事拠点化により、むしろ沖縄の負担と危険を増大させている。
国と対等な地方の自治を揺るがす問題でもある。国民の理解を得ることもなく、安全保障体制を変容させている政府の方策に、本土からも異を唱えたい。
【沖縄タイムス・琉球新報・信濃毎日新聞の社説は6月24日に追加しました】