3月議会では、長野地区護憲連合から提出された「沖縄県民の民意を尊重し、名護市辺野古における米軍新基地建設の中止を求める請願」について、即時可決を求める立場から継続審査に反対討論を行いました。
今6月議会では、新友会からさらに継続とする意見が出されましたが賛成少数で否決の上、新友会と公明議員の反対で否決となりました。
県民投票の民意を尊重し工事の中止と真摯な話し合いを求める立場で反対討論を行いました。
重点を置いたのは、「辺野古が唯一の解決策」とする政府の姿勢が、そもそもの普天間飛行場の返還合意、そして合意した在日米軍再編計画に照らして、既に必然性と根拠を欠いたものとになっているという点です。
➡長野市議会インターネット中継のページ
➡反対討論の内容は次の通り。
31番、改革ネットの布目裕喜雄です。
継続審査中の請願第1号「沖縄県民の民意を尊重し、名護市辺野古における米軍新基地建設の中止を求める請願」を不採択すべきものとした総務委員会委員長報告に反対の立場で討論します。
総務委員会では、さらに継続審査を求める意見が出されましたが、賛成少数で否決され、結局のところ、政府の姿勢と同様、「辺野古が唯一の解決策」とする意見のもと、請願は賛成少数で不採択すべきものと決定されました。本当に辺野古が唯一の解決策なのかという観点から討論したいと思います。
1996年4月の米軍普天間飛行場の全面返還合意から23年が過ぎました。やがて四半世紀がたとうというのに、世界一危険な飛行場はいまだに宜野湾市のど真ん中を占拠しています。県民の合意のない県内移設に固執し、住民を危険にさらしている日米両政府の責任は極めて重いものといわなければなりません。
96年の普天間飛行場全面返還の発表は、前年95年に起きた米兵による少女暴行事件で、県民の怒りが噴出し、日米両政府は沖縄の基地返還に真剣に取り組まざるを得なくなったことを背景としました。
返還発表は「普天間飛行場の一部機能を嘉手納飛行場内に移転、統合する。嘉手納飛行場を中心とする県内の米軍基地内に、普天間飛行場所属部隊のヘリポートを新設する」というもので、まだヘリの離着陸帯という機能にすぎませんでした。
それが今では、辺野古の海を埋め立てて2本の滑走路をV字形に配置し、弾薬搭載機能や強襲揚陸艦が接岸できる岸壁を備えた辺野古新基地へと大きく変容してきているのです。
普天間返還の原点は、基地があるがゆえの事件や事故にさらされてきた沖縄県民に、安全な暮らしを保障する人権の問題でした。それを政府は日米同盟や抑止力の維持へと議論をすり替え、辺野古に代替施設が建設されなければ普天間飛行場は固定化だと県内移設の容認を迫ってきたのです。
今年2月の沖縄県民投票は、辺野古新基地建設のための埋め立てへの「反対」が有効投票数の72・15%に当たる43万4273票に達し、明確な民意が示されました。
しかし、政府は県民投票で示された民意を一顧だにせず、なりふり構わず工事を強行しています。
大浦湾海底の軟弱地盤の存在で、辺野古新基地建設は完成までの期間も費用も見通せなくなっています。地元県民が強く反対しているにもかかわらず、総工費や工期を明示できない状態で進められているのが辺野古の埋め立てです。こんな杜撰な公共事業がかつてあったでしょうか。
明確な沖縄県民の民意を尊重せずして、沖縄の未来はありません。
いったん工事を中止し、沖縄の負担軽減を決めたSACO=沖縄に関する特別行動委員会に沖縄を加えた新しい三者協議の場をつくることを求めた沖縄県知事の提案の具体化をはじめ、政府に対し真摯な話し合いを求める請願を否決する道理はどこにもありません。
しかも、在沖米海兵隊のグアムへの移転が5年後の2024年秋にも始まると報じられました。
2012年段階で日米両政府は、在沖海兵隊約9千人を国外に移転しグアムなどに分散する在日米軍再編見直しに合意してきています。
主力の実戦部隊がグアムに移転するのであれば、海兵隊の航空基地である普天間飛行場の代わりの基地を沖縄辺野古に造る必然性は極めて乏しくなっているということでしょう。
政府の「辺野古が唯一の解決策」とする根拠そのものがなくなったことを示すものです。
東北アジア地帯における緊張緩和の流れを確かなものにすることによって、東北アジアにおける米軍のプレゼンス、抑止力を必要としない安定した情況をつくりだすチャンスにしなければなりません。
沖縄辺野古に新基地建設は必要ありません。普天間飛行場は無条件で即時に返還されるべきなのです。
かかる観点から、今一度立ち止まり、沖縄県民の民意を尊重し辺野古新基地建設を中止することを国に求める請願を採択し、国に意見書を上げることを強く呼びかけ、反対討論とします。