4月27日の第90回長野県中央メーデーに始まった10連休も今日が最終日。
プライベートな連休の出来事を振り返ります。
4月28日…小市3丁目のご近所会の花見会
地元の皆さんのご近所会の花見会にお呼ばれ。徳永貞夫さんの河川敷の畑が会場です。「花より団子」の焼き肉パーティです。3時間ばかり紫外線を浴び続けた結果、真っ黒(真っ赤?!)に日焼け、今では顔と両手が黒光り状態です。
空には、虹が出現。スマホのためか?上手く取れていませんが、太陽の周りの虹と水平な虹のダブルです。
5月1日…次女が入籍
東京で暮らす次女が予定通り、改元日の5月1日、入籍しました。平成元年生れの次女の令和元年での結婚です。
パートナーはこれまでも紹介していますがアメリカ人です。元号を区切りとする生活スタイルに違和感がないわけではありませんが、娘には素直に祝意とエールを送りました。
5月2日…戸隠神社奥社に
1日から長女が在京の高校時代の友人二人を連れ立って長野に。友人の皆さんは長女の結婚式で受付を手伝ってもらった旧友です。
アラサーの淑女3人をアテンド、張り切って?2日には戸隠に出かけました。実のところはアッシーですが…。渋滞を避けるため朝6時半に我が家を出発。残雪残る戸隠神社奥社は、参拝される皆さんの行列と奥社御朱印の行列でラッシュ状態でした。
リュウセンカが満開で、水芭蕉も咲き始めており、爽やかな信州の春を一緒に楽しむことができました。
昼食の蕎麦は「うずらや」でと思案していましたが、案の定の混み具合。戸隠キャンプ場に隣接する「岳」で、蕎麦に舌鼓となりました。我が家では「岳」は定番の一軒です。
戸隠からの帰り、芋井の「神代桜」に立ち寄りました。まだまだ見頃でした。
とても喜んでもらい、何よりでした。
5月3日…憲法記念日
既に報告の通り。獅子舞フェスティバルを愉しみながら憲法記念日の街頭行動と憲法講座に。
5月4日~5日…箱根にファミリーツアー
3月に長女が結婚式を挙げ、次女が5月1日に入籍・結婚したことから、娘たちが新しいファミリー全員のツアーを計画、箱根泊りをプレゼントしてくれました。
6人の新ファミリーが集う予定だったのですが、妻が突然、体調を崩してしまい残念ながらリタイヤに。妻の病状に後ろ髪を引かれながら、やむなく1人で箱根湯本に向かい合流。
4日の夜は大宴会。5日は箱根登山鉄道のケーブルカーとロープウェイを乗り継ぎ大涌谷に。
富士山を見ることができたのがとてもラッキー!大涌谷名物「黒たまご」を食べながら愉しみました。
長野に帰り、何とか回復し元気を取り戻しつつある妻の顔を見て安堵でした。
4日には、信州市民アクション主催による2回目の「市民と野党の共同のテーブル」が開かれました。夏の参院選に向けた野党統一候補の擁立がテーマです。事務局団体の一人ですが、欠席となりました。すみません。
そのほか、公務ではないですが、4月29日の早朝は実践倫理宏正会の創立記念となる朝起会に市議として出席。4月30日は社民党上小総支部の定期大会に党県連副代表として出席するなど、なんというか、あっという間でした。
そんなこんなで過ぎ去る10連休、リフレッシュして明日からガンバロウ!
成澤栄一・元県議が急逝
実は楽しいことばかりの10連休ではありませんでした。とても悲しいお知らせです。
元県議会議員で社民党県連顧問の成澤栄一さんが2日、急逝されました。享年90歳。今日付の信濃毎日新聞に訃報記事が掲載されています。
戸隠から戻った午後2時半過ぎに成澤家から連絡をいただき、驚愕のまま、取り急ぎ成澤さんのお宅へ。
夕方、病院から自宅に帰った成澤さんにあいまみえました。とても安らかなお顔が瞼に焼きついています。いつもの”成さん”そのままです。正覚院住職の枕経で弔いました。
逝去は、大動脈瘤の破裂によるもので、自宅のトイレで倒れ、病院に搬送され蘇生が行われましたが、かなわなかったとのことです。
つい、先日、元気な声をお聞きしたばかりなのに…痛恨の極みです。
連休中ということもあり、5日にご親族による密葬が営まれました。本葬となる「お別れの会」は6月10日午後2時から市内東和田の信州さがみ典礼長野法事センターで執り行われます。葬儀委員長は竹内久幸さん(社民党県連代表・元県議)が務める予定です。
成澤さんは、私が1985年、東京から長野に移住してくる際の「保証人」のお一人です。当時は社会党の県議でした。以来、ずっと公私にわたりお世話になってきました。市議会議員・布目が今日あるのも成澤さんあってのことです。
恩返しも十分にできぬままの突然の別れとなってしまいました。
ここに謹んで深く哀悼の意を捧げるものです。
実は、箱根行きの取りやめも考えたのですが、私の子どもたちのことをよく知る奥様から優しい言葉をかけていただき、誠に不実ながら失礼をさせていただきました。お許しください。
3日に最後のお別れをさせていただきました。
故成澤栄一さんの思い出は改めてとします。