1月3日の安茂里地区の成人祝賀式の様子は既に報告しましたが、その折に紹介すると約束した宮下健司・安茂里公民館長の式辞原稿を頂戴しましたので、ブログにアップさせていただきます。
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私たちが生きる「今」の時代を見極める視座が明確で、学ぶところの多い式辞でした。
「幸せになりさない」…館長からのメッセージ・宿題が、新成人の皆さんにしっかりと受け止められることを切に願います。
-未来に向かって生きることを考える-
平成二十九年、二〇一七年の新しい年の初めの今日の佳き日に、二〇歳、成人として第一歩を踏み出したみなさんに、新成人へのお祝いを申し上げます。
「成人おめでとうございます」。
本日の「安茂里地区成人祝賀式」を挙行するにあたり、長野市長代理の安茂里支所長西山昭雄様、長野市議会議員布目裕喜雄様、生出光様はじめ、大勢の来賓の皆様のご臨席を賜りましたことに、心より厚く御礼申し上げます。
今日この場に、二〇六人の新成人がいます。新成人のみなさんがまぶしく輝いて見えるのは、着飾った晴れ着のせいではありません。みなさんの前にはこれから先、六〇年、いや七〇年におよぶ二〇六個の未来が広がっているからです。
一生にたった一度の成人式の今日の日に、みなさんがこれから歩み、築いていく未来について、広く世界や日本の現実に目を向けながら、いっしょになって考えてみたいと思います。
昨年、沖縄米軍ヘリパッド建築現場で、大阪府警から派遣された二人の機動隊員が抗議活動をする沖縄の住民らに向かって「どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が、黙れシナ人」という誤った差別発言を行いその映像が放映されて、そのおごった態度に驚かされました。 福島の原発事故から避難してきた横浜や新潟の小学生への学校や塾でのいじめ・たかりが、5年のたった昨年になって初めて明らかになりました。「菌がうつる」「お前に触れると汚れる」「賠償金もらってるだろう」「ただでいいところ住んでいる」などの根拠のない言葉でいじめられ、不登校になったり、転校した子もいます。同じ日本人として、沖縄や福島の人々の気持ちや苦難に、寄り添う姿勢がみじんも感じられませんでした。「理性・判断力はゆっくり歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」といいます。
世界に目を転じると、先進各国は近代化・都市化が頂点に達して、経済成長が鈍化し、グローバル化、難民問題、格差問題から、自国第一主義や右傾化が頭を持ち上げ、弱い立場にある人々への偏見や差別発言が昨年はアメリカをはじめ世界を駆けめぐりました。
立場が上であったり、権力を有する側が誤った人権感覚でモノをいうことで、その偏見や差別感が大人ばかりか子どもの間にまで拡散し、悪影響をおよぼすことを私達は過去の歴史から学んでいることを忘れてはなりません。
差別・偏見をあおぐ「とがった言葉」ではなく、今こそかけがえのない命を見つめる澄み切った目をもって、人をふんわり包み込む「まるい言葉」が求められています。
一九六〇年代から始まった日本の高度経済成長期は、右肩上がりの成長を続けました。日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった坂本九さんの「上を向いて歩こう」の歌に象徴されるように、この時期は「明日はもっと良くなるだろう」と思いながらみんな上を向いて歩いていました。
大都市への一極集中がさらに進んで、地域間格差が大きくなる一方で、地方では過疎化、少子高齢化がいっそう進んで人口減少社会となり、高度経済成長期に整備されたインフラの老朽化とメンテナンス、社会システムの縮小化への検討が始まりつつあります。
日本の人口は二〇〇八年をピークに減少に転じ、日本創生会議は現在と同程度で人口流出が続くと、今から二三年後の二〇四〇年に現在の長野県の七七市町村の四四.二パーセント、大町市や飯山市を含む三四市町村が消滅するという衝撃的な予測を発表しました。
長野市の中山間地の過疎化はこの一〇年でさらに進み、限界を越えてすでに消滅する集落さえ出てきています。耕作放棄地が増え、田畑で働く人が減る一方で、作物を荒らすイノシシ・シカ・サルが人間より大きな顔で歩いている場所も出てきました。
社会全体が右肩下がりの時代となった今、気のせいか多くの人が携帯・スマホを手にして下を向いて座っていたり、下を向いて歩いているように思えてなりません。
確かに今は目標の見えない低成長の時代で、非正規労働者が三分の一、年収三〇〇万円以下の人が三分の一も占める時代となり、「若者の貧困」「子どもの貧困」「貧困家庭」という言葉に象徴されるように、特に子どもや若者にそのしわ寄せがきています。その経済格差が教育の格差をも引き起こしています。
大学授業料の高騰によって、中退者が増え、奨学金の返済ができない自己破産者は一万人にも達しています。その返済義務は連帯保証人の父親に行き、父親に返済能力がないと、親戚のおじさんへとまわり、家族親戚も奨学金によって追い詰められるという事態が起きてきています。
「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔さんが昨年七月に亡くなりました。永さんは日本中の村々をくまなく歩いた民俗学者の宮本常一さんを尊敬していました。その宮本さんからラジオの「電波はどこへでも飛んでいく、電波の飛んでいった先で見聞きしなさい」といわれました。永さんはそれを実行し、出逢いを大切にし、地域を見続け、一人ひとりの小さな声を拾い上げ、ラジオの電波に載せていきました。また、永さんのモノの見方や考え方は、自分の眼で見、現地の人の話を聞くことで培われていきました。まさに直接体験、第一次情報を放送に反映させ、自らの生き方に生かしたのです。
確かに何事も直接体験は必要で、「体験したことは忘れない」といいます。しかし、今も、これからもずっと、一つだけする必要のない体験があります。二度としてはならないのは「戦争体験」です。
オーストリアの心理学者・精神科医のアルフレッド・アドラーは、「できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが、本当に強い人間になれる」。「重要なことは人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである」と述べ、人生には、仕事・交友・愛の3つの課題があり、後の方になるほど解決は難しくなると述べています。
確かに成人者のみなさんには、これからこの三つの課題が待ち受けています。第一の仕事の課題について、田中角栄元首相は「必要なのは、学歴ではなく、学問だよ。学歴は過去の栄光。学問は現在に生きている」。「失敗はイヤというほどしたほうがいい。そうすると、バカでないかぎり、骨身にしみる」といいました。
二番目の交友の課題については、元プロ野球選手の清原和博さんが覚醒剤取締法違反で逮捕された際、PL学園高校時代からKKコンビで、巨人でも一緒にプレーした桑田真澄さんの言葉が光っていました。
野球には「プレーする、支える、見る」の三つの立場がある。「野球にはピンチになれば、代打やリリーフがあるけど、人生にはそれがない。数々のホームランを打ってきた男だから、自分の人生で放物線を描く逆転満塁ホームランを打ってほしい」と親友として力強い心のこもったエールを送りました。
三番目の「愛の課題」については、出逢いの少なさから恋愛経験のない若者、給与・経済状況などから結婚しない若者も増えています。皆さんはこれから素敵な人と運命的に巡り会いをして、お互いを輝かせるような恋愛をし、家庭を築き、子を持ち親になります。詩人のサトウ・ハチロウが「すべての景色は、二人で見れば美しく見える」と言ったように、結婚というのは一+一が二ではなく、三にも四にもなっていくものです。その反面で、離婚も増えています。「やめるのは三秒、続けるのは一生」といいます。
今日、成人式を迎えたみなさんは私たちの未来への希望です。みなさんには未来があり、輝く明日があります。「地球上でたった一ヵ所のふるさと安茂里」はみなさんにとって、特別なブランドでもあります。この中の何人かがやがてふるさと安茂里に戻って、次世代の安茂里の地域づくりの担い手になるばかりか、長野市や長野県のよき納税者になると思います。その時、立派な人、偉い人ではなく、一流な人として活躍してほしいと思います。一番は一人しかなれませんが、一流にはすべての人がなれるからです。
今日成人式を迎えたみなさんに一つだけ宿題を出します。その宿題のテーマは「幸せになりなさい」です。その宿題の提出期限は、みなさんの生きている間、一生です。
最後に、これから未来を創っていく前途有望な新成人の皆様の益々のご健勝とご発展を祈念するとともに、新年早々のご多忙の中、ご列席いただきました来賓の皆様に衷心からの御礼を申し上げ、式辞とさせていただきます。
平成二十九年一月三日
長野市立安茂里公民館長 宮 下 健 司