大震災から7カ月余…、仙台駅に降り立った第一印象は、震災前と変わらぬ活況を呈しているように思えたことでした。街ゆく人々の心の内は別として…。
しかし、21日に訪れた仙台市の沿岸地域である若林区は、瓦礫こそ撤去されているものの、かつての住宅街はコンクリートの基礎だけが残る「荒原」となり、未だ至る所に漁船やボート、車の残骸が横たわっています。そこには、まだ「津波の現実」が歴然と残り、暗澹たる想いが募ります。復旧こそ進んでいるものの、かつての人間らしい生活を復活させることの困難さを改めて実感しました。
20日~21日、仙台市で私鉄総連自治体議員団会議の総会が開かれ、組織内議員の一人として、また全国幹事を務めていることから参加してきました。4月の統一自治体選挙を経て、私鉄総連の自治体議員は66人。ピーク時には200人を超えた議員団ですが、市町村合併の影響や組織力の低減から、残念ながら減少に歯止めがかからない状況にあります。自治体において地域公共交通の再生が喫緊の課題となる中、また交通基本法の制定が臨時国会の一つの課題となっている中、まちづくりと交通政策を一体で取り組む主体側の力量が問われています。
この日の総会でも、国の地域公共交通維持改善確保事業の活用に向けた議論が活発に行われました。また、組織内議員だけではなく組織外推薦議員との連携で交通政策の実現するため、「私鉄交通政策自治体議員懇談会」を創設していく方向性も確認されたところです。
さて、東日本大震災の被災地である仙台市で開いた今総会のメインは、復旧・復興の課題と被災地の視察調査にありました。
20日には仙台市の震災復興本部・震災復興室の寺内譲室長から「仙台市の被害状況及び復興計画(中間案)」の説明を受け、翌21日には、仙台市若林区の現地調査を行いました。
仙台市だけでも704名の死者、行方不明者26名、負傷者2269名の人的被害を被り(9月20日現在)、建物被害では全壊23166棟、大規模半壊16231棟、半壊43163棟といった被害状況。市有施設や公共的施設、住宅・宅地、農林水産商工業関係で被害総額は約1兆297億円に上る試算がされています。
仙台市では、11月を目途にH23年度から5年間の「震災復興計画」を取りまとめる予定とのこと。計画中間案の概要をお聞きしました。
室長は、大震災に対する迅速な対応を阻害した要因として、燃料の不足と通信手段の不全を指摘します。緊急車両や公用車、避難所の暖房などの深刻な燃料不足、通信では固定や携帯電話はもとより、防災無線や衛星通信のいずれも通じない状況にあったとします。
また、大量の帰宅困難者が発生する中、避難所の圧倒的な不足が課題となるとともに、ライフラインが途絶してもマンションで生活できるような方策の必要性を指摘しています。
ライフラインでは、複数の供給経路の確保が不可欠であること、避難所では、市立学校だけでなく町内会の公民館・集会所、さらには民間施設を含めて指定し、備蓄も行う「仙台モデル」の構築を目指すとします。
被害の大きかった若林区では、「津波から命を守る」ことを主眼に、2メートル浸水地域で建築制限を実施し、安全な地域への集団移転を促進させるとともに、海岸堤防の7.2メートルの整備(国方針)をはじめ、県道の6メートルかさ上げ、仙台東部道路(有料)の高さ6.3メートル整備などを復興計画に盛り込んでいます。しかしながら、集団移転は移転先が市街化区域か市街地調整区域で、経費が大きく異なることから課題は大きいようです。さらに、政令市で基礎体力のある仙台市と、隣接する近隣市(例えば名取市)との間で、統一的な復興計画になかなかならないという厳しい現実もお聞きしました。県道のかさ上げの高さが仙台市内と名取市内では異なるという問題です。同じ県内でも市によって安全度が異なるという問題は簡単に見過ごせません。国・県による被災地全体に対する広域的かつ一元的な支援策が求められるとも感じました。
時間があれば、石巻市や気仙沼市を訪問したかったところですが、実現できず、次への宿題にしたところです。
国における第3次補正予算が臨時国会で審議されていきます。しかし、被災地の自治体の現場からは、第3次補正の全体像が見えない中、さらには将来的な復興ビジョンが定まらない中、いら立ちの声が聞こえてきます。現場第一で国の支援策が早急に講じられなればなりません。何とかしなければ!です。
最後の写真です。仙台市内の地下鉄改札口の掲示板に「市議会の案内」広告を発見しました。こうした議会の開催案内はアイデアの一つ、検討の価値はあるなと思います。