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04年9月議会(その2)、本会議で反対討論 沖縄米軍機墜落事故に関連して |
私も紹介議員となった「沖縄の米軍機墜落事故に抗議し普天間基地の早期返還を求める意見書」が否決に。これに対し反対討論をしました。
請願第15号「米軍機墜落事故に抗議するとともに、普天間基地の早期返還、日米地位協定の抜本改定を求める意見書採択の請願」について、委員長報告に反対する立場で発言します。
去る8月13日に起きた米海兵隊普天間基地所属の大型ヘリコプターの沖縄国際大学構内への墜落炎上事故には、激しい憤りを禁じえません。一歩間違えば、復帰以前の1956年6月に起きた石川市・宮森小学校へのジェット機墜落事故と同じように大惨事になったからです。しかも重大な事故であるにもかかわらず、小泉首相は夏休みを満喫し、政府は米軍の治外法権を認め、主権国家としての主体的な関与をサボタージュしたからです。
「一瞬何がどうなったのか、まったく理解できなかった」。米軍ヘリが墜落したちょうどその瞬間、大学本館一階の窓際にあるシュレッダーで仕事をしていた大学職員の言葉です。左斜め前に合ったコンクリート柱が、横の窓を突き破ったヘリの破片や吹き飛んだガラスから身を守ったとのことです。また、道路を挟んで大学の真向かいにある民家では、墜落によるコンクリートの破片が窓を突き破り、さらに部屋の中のふすまの高さ1メートルくらいのところも突き破りました。この部屋には赤ちゃんが寝ていました。ヘリが墜落してくるところを目撃した母親がとっさに赤ちゃんを抱いて外に逃げたため、難を逃れたとのことです。
こうした沖縄の住民の恐怖の声を聞くとき、私が言いたいのはただ一点です。沖縄の県民の怒りを共有したい、日常の危険を取り除くために、当たり前の安全を沖縄県民が享受できるよう、本土にいる私たちもしっかり声をあげたいということです。
戦後60年を経ようとしている現在もなお、国土面積のわずか0.6%に過ぎない狭い沖縄県に、日本全体の米軍基地・施設の約75%が集中しています。米軍基地は、沖縄の県土面積の約11%を占め、とりわけ人口や産業の集積する沖縄本島では約19%を占めています。米軍基地があるため、沖縄県民は、米軍による事件や事故、戦闘機などの爆音公害に苦しめられ、ときには生命さえも奪われてきました。1995年、沖縄県では、米軍による犯罪に終止符を打とうと一大県民運動が盛り上がり、日米両政府に基地の整理・縮小、日米地位協定の抜本的見直しを求めました。
沖縄の県民世論が日米両政府を動かし、1996年12月、米軍海兵隊の普天間飛行場を「5年ないし7年以内に全面返還する」ことをはじめ、11基地などの返還に合意した「日米特別行動委員会」(SACO)最終報告が出されました。もっとも、11の基地・施設のうち7施設が沖縄県内への移設を前提条件にしているSACO合意そのものが、県民負担の軽減という面からすると、明確に矛盾していました。普天間飛行場も、名護市辺野古沖の代替施設へ移転する計画ですが、沖縄では「県内移設に反対」が多数意見です。
昨年11月、沖縄を訪問したラムズフェルド米国防長官は、密集する住宅街の中にある普天間飛行場を「世界で最も危険な基地」と表現しました。普天間飛行場の全面返還は緊急の課題です。しかし、SACO合意での約束である7年が過ぎても返還の日は決まっていません。それどころか、年々米軍ヘリの飛行訓練が激しくなり、爆音被害はますます深刻化しています。
アメリカは今、国内外における米軍の再編を検討しています。当然に沖縄にある米軍基地も再編・見直し対象となっています。この機に、普天間飛行場の返還、県内への移設ではなく海外移転を実現するため、沖縄県だけでなく日本全体で世論を高めていくことが大切なのではないでしょうか。沖縄の米軍基地問題は国民的な課題だからです。事故から一ヶ月たって行われた沖縄タイムスの県民世論調査では、沖縄の米軍基地の整理縮小について、81%の県民が「政府の対応を評価しない」と答えています。名護市への基地移設にも81%が反対し、賛成は10%にとどまっています。沖縄県民は、名護市・辺野古沖への移設が、豊かな海の破壊と基地被害の分散にあることを見通しているのです。
不平等な取り決めである「日米地位協定」についても同様です。事故後の処理において「公務中の事故の調査権は米軍にある」との日米地位協定により、日本の民間地であるにもかかわらず「治外法権」化し、警察の立入・現場検証すら許されないという事態は、主権国家の立場から考えて看過できない重大問題であるといわなければなりません。沖縄県民をはじめ米軍基地が存在する自治体住民の生活と生命の安全を守るためには、小手先の運用改善ではなく、抜本改定こそが必要です。
最後に、1995年6月23日に採択された沖縄県の「非核・平和沖縄県宣言」を紹介します。
戦争は 無差別に破壊し尽くす
すべての生命を
生活を
文化を
歴史を
自然を
太平洋戦争最後の地上戦があった
この地 沖縄
町や村が焼かれ
二十万余が命を奪われた
祖先が築き上げた文化遺産は失われ
地形をも変えた
その傷あとは 今なお癒えない
戦争 その悲惨な体験をいしずえとして
私たちは
世界の人々へ訴える
一切の核兵器と
あらゆる戦争をなくし
武器にかえて対話を
そして 愛と信頼で
地球を 平和に満ちたみどりの星にしよう
私たち沖縄県民は
「イチャリバチョーデー」を合言葉に
万国津梁の地の建設を希求し
世界の恒久平和を願い
声高らかに 非核・平和沖縄県を宣言する
というものです。沖縄県民と心をひとつにし、ぐずぐずしている政府を動かしていきたいと願います。
長野市議会の総意が、こうした沖縄県民の平和への願いに応えるものとならなかったことを極めて残念なことだと申し上げ、反対討論を終わります。
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