1月22日、地元安茂里地区で人権を考える住民の集いが開かれ、佐久市五郎兵衛記念館の学芸員である斎藤洋一さんの「部落差別の現状と部落史の新しい見方」と題する講演をお聴きしました。冒頭のあいさつで私は「『部落差別はなくなった』とか『寝た子を起こすな』といった声があるが、就職や結婚をめぐり部落差別は歴然と残っている。日本社会固有の根の深い部落差別にしっかりと向き合い、根絶していく教育・啓発の真価が問われていると思う。他者への思いやりに心を砕き、認め合うあたたかい地域社会を築こう」と述べさせてもらいました。
講演後の意見交換の中で、参加した住民の一人が「私は部落出身、でも誇りに思っている。しかし、『安茂里史』の中には被差別部落の記述がない。どのように考えたらいいのか」と発言。いわゆる「出身宣言」をしながら、安茂里地区における被差別部落の歴史と現状に光をあてることが必要ではないかとの指摘です。勇気ある発言に感銘を覚えつつも、実は大きな不安も感じています。
『安茂里史』に安茂里地区の被差別部落の記述がない背景は承知していませんが(因みに斎藤氏は「脇に寄せられたのではないか」と答えました)、安茂里地区内では同和地区の指定がされなかったことや運動団体への組織化が無かったことなどから、地区内の被差別部落の実態について理解している住民は多くはないと思うからです。故に「地区探し」といった新たな差別につながりかねない脆弱さが地域の中にはまだあると思うからです。今後、地区・地域の中で人権教育・啓発の真価がまさに問われることになります。また『安茂里史』における記述に関しても、事実確認が必要です。
安茂里地区では、ここ3年間連続して被差別部落問題をテーマに住民の集いが催され、差別の深刻な実態と差別根絶への取り組みを学んできました。住民意識の改革につながっていることを大いに期待したいと思うともに、集いでの「発言」に対する地域全体のフォローアップが不可欠だと痛感しています。
斎藤氏は講演で、旧浅科村(現佐久市)の五郎兵衛新田の被差別部落史の研究から、「被差別部落は江戸時代に民衆支配のためにつくられたものとされてきたが、鎌倉時代や平安時代にも被差別部落の存在が確認されている。古代末期ぐらいにまでさかのぼり考える必要がある。それだけ根深く市民社会に浸透している差別であることを重視しなければならない」と述べるとともに、「差別は差別する側が勝手に理由をつくって差別するもので、恥ずかしくみっともないこと。この自覚をつくっていくことが大切」と訴えるものでした。