5月3日、64回目の憲法記念日です。恒例の活動として県護憲連合で街頭宣伝、そして信州護憲ネット主催の「第20回市民の憲法講座」に参加しました。
午前11時半からのJR長野駅前での街頭宣伝では、国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄・恒久平和を原則とする憲法理念を暮らしの隅々に行き渡らせるとともに世界に広げること、東日本大震災・被災者の生存権を確立すること、福島原発事故による放射能被害を食い止めるために全力を尽くすとともに、安全性が確立されていない原発を止め、自然エネルギーへの転換を国策として確立すること、そして沖縄普天間基地の名護市辺野古への移設に反対し、平和な島・沖縄を取り戻すことなどを訴えました。
若里市民文化ホールで開いた憲法講座のテーマは「地震と原発」。中央構造線研究の第一人者である大鹿村中央構造線博物館学芸員の河本和朗氏を講師に、「東海地震が起きる前に、浜岡原発を止めるために」を演題にした講演に耳を傾けました。
福島第一原発では、恐れていた『原発震災』が現実のものとなりました。この深刻な原発事故で、東京電力や政府は「想定外」の事態であると、従来の耐震基準・津波対策などの安全設計に誤りがなかったような態度を表明しています。しかし、巨大津波の襲来やすべての電源の喪失など「シビア・アクシデント」(過酷事故)を想定した対策は、以前から各方面で論議になっており、まったくの「想定外」ではありません。原発を推進するための過酷事故「想定」切り捨てであり、今回の重大事故は「想定」できたものでした。静岡県の浜岡原発(中部電力)は、東海地震の観測強化地域の真ん中にあります。東海地震は今後30年の間に87%の確率で大地震が発生すると言われています。大地震・大津波による福島第一原発事故を超える大事故が起こらない保障はありません。
河本氏は「日本では地震列島の上に54基の原発が存在している。浜岡原発は、震源域の真上に立っている。確実に地震が起きる場所にある原発は世界でも浜岡だけ」と指摘。また「地震はほぼ120年サイクルで起きているが、東海地震は1944年の大地震から154年を経過、すでに34年オーバーしている地域で、いつでも起きるのが東海地震だ。今すぐ浜岡原発を止めなければならない」と強調しました。
東海地震が起きた場合の長野県への影響は、諏訪市周辺まで「震度6」地域と想定されています。地震そのものは天災ですが、浜岡原発で起きる事故は「人災」となります。今すぐ原発を止めること、そして代替エネルギーへの転換に知恵を結集する時だと思います。
憲法第25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」=「生存権」の確立が問われています。
朝日新聞の「社説」より「大震災と憲法-公と私をどうつなぐか」を参考に掲載します。
日本国憲法が施行された64年前のきょう、日本各地にはまだ空襲の跡が残り、戦渦からの復興は緒に就いたばかりだった。
いま東日本大震災に、原発事故が加わり、敗戦後最大の危機の中に私たちはある。
被災者一人ひとりの暮らしを立て直し、支えていくことと、被災地を広域にわたって復興し再生していくこと。そこには、「私」と「公」の間にどう折り合いをつけるのかという難題が横たわる。憲法を踏まえた議論を避けて通れない。
震災と津波の直後に発揮されたのは、日本社会の草の根の強さだった。しかし、日を追って明らかになったのは、国民の生命と権利を保障する最後の守護者としての政府の役割である。
たとえば、津波で家を流された人々の生活をどうするか。
失われた私有財産を国が補償する仕組みはもともと日本にはなかった。阪神大震災や鳥取西部地震などを経て大論争の末に、最大300万円を住宅再建に支給する現行制度ができた。
今回、さらに増額を求める声が出ている。「二重ローン」の問題も深刻だ。放射能で自宅に戻れなくなる人々は? 政府、ひいては社会でどこまで負担を分かち合うべきなのだろうか。
重い問いはそれだけではない。すでに被災地では、がれきの中に自力でプレハブを建てる例が出ている。「自宅にもどりたい」という被災者の気持ちは当然であり、痛いほどわかる。
一方、地域再興や防災強化の観点からは、私有地の土地利用を一定程度制限するのもやむをえない場合がありうるだろう。
政府は自治体とともに早急に青写真を描き、私権制限がどこまで必要なのか、どのような手法を採るのかを具体的に示し、被災者の理解を得るよう努めなければならない。
こうした公と私のぶつかりあいを、憲法改正で乗り越えてしまおうという議論も改めて出てきている。非常事態条項を新たに盛り込むべきだという自民党内などからの主張である。
大規模災害時に政府の権限を拡大し、国民の人権を制限する。当然、日本有事への即応に役立てることも念頭にある。
しかしそれは、同時多発テロ事件後の米国で見られたように権力へのチェック機能が失われる危険をはらむ。民主主義体制そのものを浸食しかねない。
現行法の枠内でも可能なことは少なからずあるはずだ。そのうえで今の憲法や法体系にどんな限界があるのか、しっかり見きわめる。非常時だからこそ、冷静な姿勢が肝要である。