3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内最大規模のM8.8巨大地震が発生し東北地方から関東にかけ強い揺れと大津波が襲った。大火災も発生し、犠牲者数、行方不明者数に予想をはるかに超える甚大な被害が出ている。そして、12日未明には長野県北部を震源とする地震が発生、下水内郡栄村では震度6強を観測し、県内にも大きな被害を及ぼしている。
巨大津波の恐ろしさには言葉を失う。一夜明けての東北地方沿岸の悲惨な被災状況にも言葉はない。
そして、原発だ。福島第一原発では緊急停止後、放射能物質セシウムが検知され、放射能漏れからメルトダウンに至りかねない深刻な危険性が現実のものとなりつつある。情報公開と周辺住民の安全確保が喫緊の課題となっている。
11日午後4時半には、社民党全国連合内に「地震災害対策本部」(12日に「東日本対震災対策本部に改名)が設置され、13日(日)に予定していた福島党首の来県応援の可否を検討、東京と電話がつながらない状況の下で、なんとか「中止すべき」と進言連絡し、党首は在京で地震対策に専念することになった。
明けて12日、土砂崩落によるJR飯山線の中吊り状況や道路や民家の被災を受け、午前9時、社民党県連合内に竹内代表を本部長、私が事務局長を務める「地震災害対策本部」(正式名称は「東日本大震災対策本部」とする)を設置、正午から県の現地対策本部である「北信地方事務所」を現地調査で訪問した。現地調査は社民党・民主党合同、県議会「改革・緑新」合同の形となった。この段階で既に、土砂崩落による中条川の堰き止めの可能性があることや、余震が間断なく続くことから、住民の安全を確保するため、午前11時には秋山郷を除く栄村全域、804世帯2050人に避難指示が出されていたのだが、現地対策本部では情報が錯綜し承知できていない状況も。
本当は栄村まで入りたかったのだが、国道117号線は市川橋から新潟県境まで、一般車通行止めで、栄村対策本部に無用な仕事を増やしてもいけないと判断し、断念。
長野に戻ってから、県の危機管理部発表資料を見て「安茂里小学校の赤心館の連絡通路で一部壁がはがれた」との情報を眼にし、安茂里小学校にも出向いたが、既に不在で、週明けの確認に。
とにかく今後、全国連合の対策本部に関係県連合として参画し連携するとともに県災害対策本部とも連携し、県内の被害状況の把握に努めるとともに、必要な災害対策及び救援活動を実施することにしたい。
私事だが、11日地震直後から、東京にいる次女となかなか連絡がつかないでいたのだが、午後4時過ぎに「大丈夫」とのメールが届き、一安心。ロンドンにいる長女からは、12日に国際電話で安否を確認してきた。家族の安全は確認できたものの、被災地の皆さんの胸中を察すると安穏とはできない。私鉄労組の仲間にも行方不明者が多数出ている。生存確認できることを祈る。